香港からフェリーでマカオに入る。
一時間の航海だが、海ばかりの同じ光景の繰り返しに、おそらく中国本土からの乗客たちも次第におとなしくなり、つかの間の静けさが訪れた。
フェリーのたてる音と振動の心地よさのなか、香港の暑さと人の群れの熱気に自分が予想以上に疲れていたことに気づいた。
台風ルンビアの影響でフェリーは大きく揺れる。航行中は気になるほどではなかったが、マカオに近づくにつれあたりはすっかり黒い雲に包まれていた。
雷の音に背中を突き飛ばされるようにイミグレーションをあっさり通り抜けるとそこは、マカオの中国大陸側の出入り口、港澳客輪埠頭だ。
香港島と中国大陸の九龍半島から成り立つ香港と同じように、マカオ・澳門も半島と島からなる国だ。ここでは香港ドルがそのまま通用する。マカオの通貨パタカは香港では通用しないのが、香港経由の観光客からのマネーで成り立つことを感じられるところだろう。
新しい国への入国の感慨に浸るまもなく、タクシーに乗り込み、ホテルへと向かう。
マカオを代表するカジノ、リスボア・葡京を右に折れ、繁華街の中心を通る新馬路を走る。
5分もしただろうか、マカオの昼の観光の中心地、セナド広場のすぐそばでタクシーは止まった。
英語の通じない運転手は、この道を進めと言っているように感じた。
金もない旅、高級ではないそのホテルは、運転手に書いて見せても通じず、ホテル近くの粥の店の名前を伝え、やっとここまで来られたのだ。
チェックインを済ませ、すぐに外に出る。朝、香港の佐敦で食べてから、かなり時間がたっていた。
セナド広場の方向の見当をつけ歩き出してすぐ、傘を忘れてきたことに気づいた。さっきまでの雨がうそのように、あたりは陽が差していたのだ。
そのまま歩き出し、広場に入る。雨がやみ、待ちかねていた多くの観光客たちが噴水を背に記念写真を撮っていた。
香港と違いポルトガル領であったマカオは、案内図もポルトガル語が中心だ。大三巴牌坊(聖ポール天主堂跡)、壁だけのこの教会を見ようと歩き始めたとき、なんの前触れもなく、土砂降りの雨が降り出した。石畳の広場をたたきつける音が響く。
私は広場を離れ、ホテルへと戻る道を進み、脇の細い道へと進んだ。安い食堂らしきものが目に入ったからだ。
私が扉が大きく開かれたままの食堂に入ると、中にいた人たちがこちらを見ていることに気づく。同じように外を眺めていた顔をこちらに向けた店主に指を1本突き出す。その辺に座れと身振りで示され、席に座りながらビールを頼む。ビールを呑みながら周りを見ると、客たちは食べ終わり外に出ようとしたときの突然の雨に、外の様子を気にしてそろって外を見ていることがわかった。
ビールを呑みながら、外の様子を見るも、当分やみそうもない。このまま食事をすることにした。
壁には左右に2台ずつ4台の大型エアコンが大きな悲鳴と共に冷気をはき出している。開けっ放しの入り口からは水気を含んだ熱い風が入り、入り口に近いところに座る私の周りで混ざり合っていた。このアジア特有の空気感の中で呑むビールが私は好きだった。
20人もはいれるだろうか、この小さな食堂の中央に10人くらいのグループが座っていた。地元の者ではなく中国や香港からの旅行者たちなのであろうか。私には言葉では判断が付かなかった。彼らのうちの何人かが仲間と声を交わしながら土砂降りの雨の中走っていった。車や傘を用意してくると言うよりは、地元の顔見知りに濡れることのあきらめの表情で別れの言葉を伝えたように感じた。
適当に頼んだ麺と、青菜を炒めた15元の油菜と、ビール。もう1本頼むかどうか迷っていたが、雨は小降りになってきたようだ。
店主に金を渡し、熱気と冷気の混ざり合う席から熱気の側へと歩き出した。雨は続いているがこの暑さの中ではそれも悪くない。私は後ろを振り返り、マカオで最初の食事を取った食堂を最後に眺めると、広場を左手にホテルへの坂道を上り始めた。
ルンビアのマカオ
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